『Drak souls』における小ロンド遺跡と四人の公王のモデル推理、及びそれによる大ロンド説。

 ローマカトリックを中心とする西方教会圏は、その昔、現トルコの地域をアジアと呼称していた。しかし、地図の広がりと共にアジアが拡大すると、それまでアジアと呼ばれた地域を「小アジア」、現在の認識に近い地域を「大アジア」と呼称する様になる。同じように、ロシアも元は国名ではなく地名であり、現ウクライナの地域をロシアと呼称し、やがて地図の拡大と共に旧ロシアを「小ロシア」、拡大したロシアを「大ロシア」を呼称するようになる。

 また、小ロシア地域にはかつてキエフ・ルーシという大公国があったが、当時は一子相続ではなく多子相続であったため大公国は分裂し、いくつもの公国が生まれることになる。即ち、複数の公王が存在したということである。

 「小ロンド」という呼称、そしてエリアボスが「四人の公王」であることから、小ロンドはキエフ・ルーシがモデルであり、同時に「大ロンド」の存在がある。という仮説。